「日本人って、なんか無駄遣いしないよね。」
と、この間友だちのところに油を売りに行ったときに言われた。
彼はホステルの受け付けをしているのだけど、そのホステルに何か月か前から日本人が滞在しているとのこと。彼女の暮らしぶりや態度を見て、上のような感想を持って純粋に「なんで??」という疑問を持ったとのことだった。例えば、買い食いをしないとか、そういう小さなことだけれど。
「ほんまに必要じゃないからじゃない??」
と私は答えた。その日本人の人は、仮にも旅人の身。荷物をやたら増やしていては身動きが取れなくなるし、意外と旅中は物欲はあまりないような気もする。もちろん、ここでしか手に入らへんかもしれへんと思った一目ぼれ的なものは買うに至るけど、いろいろ考え事をする時間があって気持ちが満たされてくると、そんなに何でもかんでもほしいという気持ちは湧いてこない、ような気がする。日本の世の中を見渡しても、「断捨離」とか言う言葉をよく聞くくらいだから、あまりものを持たなシンプルな生活がよしとされているところももちろんある。
だからなのか、確かに言われてみれば日本人はあんまりホイホイ物を買わないような気がする。そして、メヒコ人はホイホイ物を買っている気がする。
メヒコの人の最低賃金とかは日本の何分の一以下のはずだ(もちろん、その分生活費は安いけれど)。それなのに人々は実によく買い物をしている印象を受ける。
屋台での買い食いから始まり、小腹がすいたらお菓子を買ったり、喉が乾いたらジュースを買ったり、無駄遣いとも言えなくもないような、そんな買い物のシーンをよく見かける。買う人がいるから売る人もいるというわけで、道端には実に様々な屋台がある。
そういうところで買い物をしている風景を見ると、ああ、なんかイキイキした活気のある街の風景だなぁ、と感じる。逆に、そういうのが日本ではないから、なんか淡々としているなという印象を受ける。だから、どちらが豊かなのかと考えた時に、「う~ん、どっちなんやろう」、とぱっと応えることができない。
「ちょっと欲しいな、と思ったものに関しては、買う前にほんとにそれが必要か、もう一回自分に聞くかも。それでもどうしてもいるといるという結論が出たら買う。」
と付け加えると、
「それはわかる気がする。でもたとえば、めっちゃくちゃ気に入ったTシャツがあるとする。それが400ペソしたとする。俺は400ペソしか持っていないという状況。それでも、やっぱり俺は買ってしまう」
と彼ははっきり言った。必要で必要で仕方ない気がするから、買わずにはいられないんだそうだ。
「でも、お金に余裕がなくて、今すぐ必要じゃなかったら、買わずに済むんでは??」
と逆に質問してみた。すると、
「うーん、でも明日必要になるかもしれへんやん??だから結局いるやん。買うやん。」
とのこと。そこにやってきた彼の奥さんも、
「うん、明日いるかもしれへんから、やっぱり買うな。」
と付け加えた。
「えー、でも、お金がカツカツなんやったら、そんなTシャツなんかは買わんでもええんでは?!というか、我慢するべきなんちゃう?!」
というても、
「いや、それでも買ってしまうと思う。」
と言い切った。
その感覚は日本人にはないかもしれないと思った。メヒコでは、貯金という感覚がないのだそうだ。その日暮らしの生活をしている人もたくさんいるから、貯金なんてことはしてられぬ、という事情もあるだろう。しかし、車にしても保険に入っていない人がほとんどだから、事故が起こっても当てられたら当てられたまんま、直すのは自分、ということらしい。
逆に日本は、「なんかあった時に」と備えあれば憂いなしの精神が強い。
あるお金をあるうちにパーッとつかって、その瞬間ハッピーなのがいいのか、いつか起こるかもしれない非常時に備えて保険や貯蓄にお金を回して、ちょっとくらいの欲しさなら我慢してやり過ごすのがいいのか。貯蓄や保険にお金をかけていても、使う前にぽっくりいくことだってあるかもしれない。そう考えると、どちらがいいかを判断することは難しい。
どっちもいいような、悪いような。
理解はできるけど実践はできない、という状況は、価値観とか国民性とかの違いなんだな、とこの会話を通して妙に考えてしまった。やっぱり、世の中は「いい」「わるい」だけでは片付かないことがたくさんある。
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