丸一年。


ちょうど1年前の今日、オアハカにやってきた。この間年末年始に日本に帰ったばっかりなので、あんまり「1年たったぞ~~!!」と言う達成感のようなものはないけれど、1年前の写真を見返して、この便器のふたのなかったトイレから始まったんやなぁ、と思うと感慨深い。

この家は眺めが抜群に良かったのだけれど、なんせ耐震構造に不安があることと、お湯問題で大家さんとの信頼関係があんまりよくなくなったので引っ越しをして、残念ながらこの便器の写真も今となっては懐かしい。

前にメヒコに住んでいた経験がかなり活きた1年間だったと思う。(日本の基準で考えた時に)「ありえない」と感じることは、やはり今でも多々あるけれど前の経験があるから少しくらいは予測できるし、納得がいかないときは問い詰めることもするし、一度「NO」と言われたくらいではあきらめずしつこく質問を繰り返すなど、これ以上タフになってどうするんだというくらいにタフさが身についていると感じる。最悪「ni modo(しゃあない)」という言葉もあるし、それで納得してしまうところもあるから、まぁ性にあっているんだと思う。(そりゃあ、たまには腹が立って腹が立って仕方がないときや、涙が出てくるくらい悔しい気持ちになるときだってあるけど。)

やっぱりいつも一番考えたり悩んだりするのは語学力のことである。語学力がすべてではないということは本当にわかっている。それよりも大切なものはいっぱいあることも知っている。

1年前、オアハカの土地に降り立ったとき友だちなんて一人もいなかったし、道を歩いていても知っている顔にすれ違うことだってなかったし、行きたい店やカフェもなかった。けど、今はある。オアハカは小さな町なので歩いていると知った顔にすれ違って道端で立ち話をすることもあるし、濃いコーヒーが飲みたくなったらあそこに行こうとか、コーヒー豆が切れたからあそこに調達しに行こうとか、とても狭い範囲ながら自分らしく生活していると思う。その点では、これと言った不自由がなく過ごすことができているので、1年前よりは何かしらは進歩しているのだと思う。突っ走っているときは、どうしても自分を客観的に見たり、あるいは自分を認めたりすることを怠りがちなので、今日はいったん立ち止まって客観的に振り返りたい。

それにしても、やっぱり人間は欲深い生き物だと思う。「全てではない」と断言している言葉をもっと理解したいという欲が私にはある。理由は「もっと知りたいから」だ。友だちの言っていることを、職場の人が言っていることをもっと理解したい。そして自分が考えていることや、自分が思いついたことをもっとちゃんと伝えたい。だから上達したい。

言っていることが矛盾しているかもしれないけど、思いついたからには記しておきたい。

何年か前の日記に「笑顔があればどこでもやっていける」と書いたことがある。(いつだったか忘れて見つけられない。)これは今も変わらない思いだ。結構しかめっ面をしてる人もたくさんいるし、自分ももしかしたらかなり険しい顔でいるときがあるかもしれない。でも、やっぱり笑顔は最大の味方だと思う。気張らずに2年目、楽しもうと思う。

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