sierra(山脈)に行った話

去年の今頃は日本について友だちに会いに行ってたりしたけど、今年は年末年始は休みが取れずメヒコ残留。メヒコのクリスマスは完全に家族の休日だと聞いていたので、どんなものかなと思っていたら、街中でばったり友だちに出会って晩ごはんに誘ってもらったり、クリスマスディナーに招待されたりにぎやかに過ごさせてもらっていてありがたい限り。家では漫才などのお笑い番組をずっと見ていてすっかり年末年始気分である。本当はスペイン語の何かをBGMにしておきたいのだけれど、年末で甘えが出ております。

先週土曜日は隔週の休みがあたっていて、用事があったのだけれども急にキャンセル。まぁ、よくあることなので別にいいのだけれど、ぽっかりと一日暇になってしまった。さらにお笑い番組を見まくり、洗濯をして、そういえば、と友だちの家のスタイリッシュさにインスパイアされ、私の部屋ももう少しシュッとさせねば、ということで模様替えに着手してみた。新しい年を迎える準備をのそりと始めている。

それと同時に、今年をちゃんと振り返らねばという気持ちもある。今年はブログをほとんど書いていなかったので、せめて山に行ったことは記録しておこうと思う。

この間、土日と休みの週末がありSierra Mixe(シエラ・ミヘ)というエリアに足を運んできた。オアハカ州には8つの地域があって、それぞれに気候や文化の特徴がある。オアハカ市はValle(谷)のエリアで高地にあって乾燥した気候だけど、costa(海岸)の方へ行くとトロピカルな気候なのだそうだ。Sierra Mixeは山脈地帯で、オアハカ市よりも標高が高く山間にあるので朝晩と昼の寒暖差がさらに激しいと聞いていた。

訪れた街はTlahuitoltepec(トラウイトルテペック)というオアハカ市から車で3時間ほどの村である。ちょうど聖母グアダルーペのお祭りが開催されるということで、友だちが違う街で知り合ったという人たちに招待されたから一緒に行こうと誘ってくれたのだ。最初は3人で行こうぜ~、となっていたのに全然誰からも連絡がなく、本当に行くのかが怪しくなってきたので連絡してみると1人は「あ、無理やねん!」という返事。えええ!!でももう1人は、「ぜひ!!」とのことだったので、2人で行くことに。

15人乗りくらいのバンを予約して、翌日にいざ出発。私は完全に友だち任せで、おんぶにだっこ状態で行き方や値段などを調べてもらった。バンが出発して、オアハカ市内を抜けると次第に道路がグネグネ山道に突入。酔うのが嫌だったので、どこでも寝られるという技をここぞとばかりに発揮して寝ることに。途中1回トイレ休憩。

「景色きれいなぁ!!」

と友だちに言われるも、寝ていたので見れておらず……。休憩後はなるべく景色を見ようと頑張るも、睡魔に押されがちで結局は寝てしまっていた。途中で後ろに座っていたおっちゃんが下りるからと、通路を開けるために私もいったん車の外に出た。

すると、運転手が外人である私を見て、

「どこまでいくん??」

と聞いていた。

「えー、どこまで行くんやろう?!なんか、長い名前の村で……。」

と言いながらレシートをみせると、

「そこ、すぎたで。」

と言われていまった。「す、過ぎたとはどういうことや?!」と思いつつ友だちにあわてて報告した。てっきり、運転手がおり場所を知らせてくれるものだとばかり思っていたのに、自己申告で降りなければならないという。予約をするときに行き場所を聴かれてシステムに入力していたのは一体なんだったのか?!わけがわからない。

しかしまぁ、通り過ぎてしまったものは仕方がないので運転手にどうしたらいいかと相談すると、次の村まで乗っていったら、反対方面行きの同じ会社のバンが通過するはずだからそれに乗せてもらえとのこと。20分ほどいったぽつりと民家が少しあるだけの道路際におろされて、対向車のバンを待つ。

ほんまに来るのか怪しみもしたけれど、しばらくすると本当にやってきた。ああ、これで目的地に行ける!!とほっと胸をなでおろし、またグネグネ道をゆく。村に続く道がある高速道路際で下されることになっていて、そこからはコレクティーボという乗合タクシーをつかまえなければならない。私たち以外にも若干行先は違うものの同じようにコレクティーボタクシーを待っている人たちがいた。地元の人のようだったので、あっているかと何度も確認して待った。

ほどなくしてコレクティーボタクシーが来て、村まで無事に到着。村までの景色や、グネグネ山道は不思議だけれど、松の木があるからだろうか、日本にどことなく似ていて、なつかしい気持ちにすらなった。でも、中に入っていくにしたがって、日本とは違う家の作りで、ああ、やっぱりここは外国だ、という気持ちになった。そして、歩いている人々は、オアハカ市のそれとも完全に違う様子だった。顔のつくりや、身につけている民族衣装が異世界にやってきたんだなという気持ちにさせる。そして、村に降り立ち少し歩いてみると聞こえてくる言葉がスペイン語ではないものもあることにすぐに気がついた。

その言語は「ミヘ」というらしく、老若男女みんな話していた。ミヘで話してスペイン語で答えて、スペイン語で話してミヘで答えている、なんていう光景もしばしば目にした。ミヘは、その地域の先住民の言葉なのでスペイン語とは完全に異なる。発音も文法もすべてである。だからこの地域の人たちはみんなバイリンガルということになる。ううん、すごい。

お祭りは村総動員といった感じだ。特設会場が建てられ、そこでは音楽やらロデオのショウがあるとのこと。そして、ホストとなる人が何人かいてさまざまなところが会場となり、音楽や食事がふるまわれることになっているようだった。友だちの友だちも、その「ホスト」とやらになっているらしく、そこに来ていいよという話だったらしい。「らしい」というのは、私たちが村についた時点では彼らと連絡が取れていないのだった。メールをしたけど返事が帰ってきていなかったらしい。なのでとりあえずインターネットカフェに行ってメールやメッセージをチェックすることにしたけど、返信はなし。

携帯も友だちの契約会社の電波は届いていないので、連絡の方法はない。とはいうものの、もう手は尽くしたので、とりあえずは楽しもうということになった。気楽な旅の友だ。

それにしても不思議な村だ。山間にあるのでソカロ(町の中心部)が縦長い。キオスクと呼ばれる円形の建物の前に役場。そして、キオスクを2つのバスケットコートが挟んでいた。メヒコのこんな山奥の村になぜバスケットコート?!と、そのミスマッチが非常に興味深い。子どもも、女の子も、おっちゃんもみんなバッシュを履いてバスケをしている。そしてその後ろを民族衣装を着たおばちゃんたちが普通に通り過ぎていく風景は、なかなかオアハカ市内ですら見ることができない景色で思わず見入ってしまう。

ご飯を食べたり、子どもが群がるコインゲームに挑戦してみたり、その辺をうろうろ歩いたり、気ままに村歩き。トラウイ(村の略称、愛称)の民族衣装は確か、フランス人デザイナーがそのデザインをまねしたとか何とかで今もめているはずだ。ミシンを使った刺繍で、独特のデザインである。村の中には民族衣装(といっても、日常で着られている)を売っているお店を覗いてみると、お店自体が作業場で、ミシンが置いてあって、作業中の衣装がてんこもりになっている。おばちゃんと話していると、素材は以外にも街の布屋さんに買いにでてくるらしいのだ。ミシンでの刺繍なのでとても強度がある。でも下書きは「円」だけでその円の大きさを頼りにミシンをどんどんかけていく。花かと思っていたデザインは「太陽」なのだと教えてもらった。刺繍や織物の伝統と文化が色濃く残るオアハカなので、作り手の人と話す機会があるときはこのようにデザインや模様の意味を教えてもらうのが好きだ。一番最初に出会ったメヒコの民族のデザインがウイチョール族のもので、ビーズのアートにも、糸を使ったアートにもそれぞれ意味があって、それらの意味を踏まえて作品を見ると、彼らの表現している世界を身近に感じることができるのがってもおもしろい。そして、それぞれの模様に意味があるのに、どれ一つとして同じ作品はなく、下書きがあるのに作業が施されてないままになっていたりするものなどもあって、人の手によって作り上げられていく過程が見えるのも面白い。

メインイベントの一つは「ロデオ」。ロデオ会場にはたくさんの人が集まっていて、暴れ牛を乗りこなすセニョールたちをみんなで見守る。合間にはおかまちゃんの歌のショーがあったりとにかく大盛り上がりである。街の人たちはみんな地元の言葉を話しているのに、アナウンスは全てスペイン語なのにびっくりした。

そうこうしているうちに日も暮れて、泊まる場所を確保できていないままうろうろしていると急に友だちのことを呼ぶ青年が現れた。彼こそが、友だちが連絡を取ろうとしていた人の一人で、まさかこんな偶然に会えるとは思っていなかったのでびっくりした半面、泊まる場所を確保できていないことをそんなに不安に思っていなかった自分たちの気楽さにも笑ってしまう。知り合いに出会った瞬間、話がトントンと進むのがこの国、メヒコである。

晩ごはんの場所、宿、すべてが一気に決まった。

このお祭りの開催中は、何人かの世話役が村にいて、その世話役の人がそれぞれの場所で昼ごはんや晩御飯がふるまわれるのだそうだ。完全に無料で、誰でもお邪魔していいのだそう。会場に到着すると、席に案内されて座るなり目の前にご飯が出されて、飲み物、トルティージャなど次々にいろいろなものが提供される。少なくなれば、「おかわりはいかがですか?」と世話をしてくれている人たちが回ってきて聞いてくれる。私たちの前に座ったおばちゃんたちは、無表情でぱくぱくとご飯を食べていて、くいっとメスカルを飲み、最後はビールをぐびぐびと飲みほしていたのがとても印象的だった。

食事が終わると、ブラスバンド隊の演奏である。トラウイは音楽に力を入れていることでも有名なのだそうだ。音楽を聴くだけかと思いきや、ここからは踊りまくるのである。踊りがめっぽう苦手な私はできれば遠巻きに見ておきたいところなのだが、めっちゃしつこい人に誘われて踊る羽目に。無表情だったおばちゃんたちも次々に踊りに繰り出す。そして、ステップを踏んで、1人で踊ったり女の人通しで踊ったり、輪になって踊ったり、とにかく音楽もやまなければ踊りも止まらない。しばらく踊ってようやく、しつこい人から解放されたので友だちと街の様子を見に行ってみることにした。

大きな音楽のステージがあり、バスケットボールコートではここでも人々がぎゅうぎゅうになって踊りまくっているのである。相変わらずバスケットをしている子どもたちもいるし、いちゃついている人もいるし、酔っ払いはその辺で寝落ちしているし、屋台がいっぱい出ているし、一言で表現するならば、カオス。何でもありで、いかにもお祭りという感じである。

メヒコにいて、久しぶりに異国情緒を感じた。祭りにかける本気さを間近に見て、村をあげての大イベントなんだなぁと感心するばかりである。友だちと、少し喧騒から離れて星を見に行った。そして、あたたかくて少し味の薄いポンチェを飲んで夜を過ごした。いい旅じゃないか、行くか行かないかギリギリの決断と計画だったけど、やっぱりきてよかった。やはり旅はするものだ。宴は夜中の3時か4時くらいまで続くのだそう。早めに切り上げて、休むことにした。

翌日は、オアハカまでの交通手段を調べつつ朝から村歩き。あんなに夜中まで大騒ぎしていたはずなのに、みんなめちゃくちゃ朝が早いのでこれにも驚いてしまった。買い物をしたり、おばちゃんとしゃべったり、ミヘ地方の民族衣装コンテストを見たり、のんびりとお祭りを楽しんだ。そして、ちょっと池を見に行くはずのウォーキングが、いつの間にかハイキングのようになっていて、山道や車道を汗をかきながら歩いた。友だちと仕事の話をしたり、オアハカの暮らしについて話したり、芝生の上に寝っころがってしばらく風を感じたり、足りていなかった何かを補充するようなとても充実した時間を過ごすことができたと思う。

訪ねられたことに対して「知らない」とは言わないメヒコ人なので、オアハカへの交通手段をいろいろ聞いていたが結局違う村を経由しないと帰れないらしいということが分かり、早めに村を出ることにした。コレクティーボタクシー(日産サニー)だったので、ぎゅうぎゅうだったので眠りについている場合ではなかったが、その代わりに目の前には何重にも重なる山脈の景色が広がった。これを行きしな全部見逃してきたのか、と思うと昨日の睡魔を呪ったが、今見えている景色の美しさに感動した。

運転手のおっちゃんも最初は無口なクールおっちゃんだったけど、「すごいなぁ。ええところやなぁ」と連呼して村のことについて尋ねたりしているうちにいろいろ教えてくれて、写真を撮ろうとするといいビューポイントで減速してくれたりした。そして、8月には別のお祭りがあるからくるといいよ、と話してくれた。おっちゃんはしきりに

「昔はこんな道路がなかったからね」

と言っていた。こんなに山がちのエリアで道路もなく、車もなかった時代は今のように簡単に村と村の移動ができなかったという。途中の村によった時に見た民族衣装がトラウイのものとは全然違うかったので驚いたがこの話を踏まえてみると納得である。彼らの文化や習慣が独特で、各村ごとに違うのも交流がなかった(方法も)からなのだ。今はこうして簡単にいろんなところにたどり着けてしまうから、逆に文化が入り混じり、そして逆に伝統が失われていく速度も加速しているのかもしれない。実際、民族衣装を身につけているのは断然に年配の女性が多いことに気がつく。男性たちは普通のズボンやシャツ、Tシャツ姿の人ばかりである。民族衣装よりも、それらの服装の方が機能的なのかもしれない。昔はアクセスする手段がなかったから、自分たちの村で作った服を着ていたけれど、今はその必要がない。交通や情報伝達の手段が発達するのと同時に、失われていく文化と伝統があるという事実をこんなにもはっきりと見せつけられると、なんだか奇妙な感覚を抱く。矛盾を感じるけれどもこれらを「意識して守らなければならない」という時代がこんなところにも来ているのだな、と感じた。午前中に見た民族衣装のコンテストでは、民族衣装を身にまとった人たちについて、どの地域なのか、どうやって作られているのか、どんな意味があるのか、というのを説明していたのをふと思い出して、それも「伝統や文化を守る」という活動の一環なのかもしれないな、と思った。

滞在時間は実はそんなに長くなかったけど、久しぶりに無計画で流されるように旅をした2日間で、オアハカの街に帰ってきたときは何とも言えない充実感に満ちていた。

誘ってくれた友だちと、村でお世話になった人たちに感謝のとある週末の話でした。







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