言葉としぐさのはなし。

最近、ガリ勉クラブを怠りがちだ。集中力が切れてきているのと、どうやったらディアブロ(悪魔)の絵を面白く描けるかと言うことばかりを考えているからだ。だから、家ではもっぱらYouTubeで「にけつっ」を見ながら、無駄にクリックしたり、悪魔のスケッチばかりしている。昨日は寒いからと布団に入ったらそのまま寝落ち。つまり、ほぼ何もしていないなかなか非生産的な日々である。

外国に暮らす以上、言語とは切っても切れない関係にあり、様々な角度から気になることがたくさんある。アメリカとメヒコの国境近くの町に住むアメリカ人の生徒がこんなことを言っていたのがきっかけで、ここ数か月間でずっと気になっていることがある。

「私の街にはバイリンガルの人が本当に多いんだ。彼らを見ていると面白いことに気がついたんだけど、英語を話しているときとスペイン語を話しているときの様子が違うんだよ!つまり、顔の表情やジェスチャーが全然違うんだよ!!」

日本語と英語を話す人を比較したときに、同一人物でも英語を話す時の方が「ええ声」、要するに声が低くなるのは知っていたけど、バイリンガルの人のしぐさに注目したことはなかったのでこれはものすごくおもしろい視点だなと思った。

日本語から見て、英語もスペイン語も「外国語」という枠にくくることができるので、英語~スペイン語間のジェスチャーのことについては考えたことがなかった。英語なまりのスペイン語だな、とか、スペイン語なまりの英語だな、とか耳で聞くぶんには明らかだけど、外国語のジェスチャーは日本語と比較したらだいたいどこの国のものも身振り手振りが大きいとは思っていた。だからそこに違いがあるとはあまり注目していなかったのだ。

今、韓国人の男の子が私の働いている学校にスペイン語を勉強しに来ている。彼は、大学で日本語を専攻してらしく日本語がかなり流暢だ。そして、日本に留学していた経験もあるので日本語脳が出来上がっていると感じる。その証拠に「Cómo estás?(元気?)」とスペイン語で話しかけると、「Bien(いい)です。」とか返答してくる。

ビエンです!?

これはもはや、ルー大柴レベルではないか。ルー大柴の話し方は日本語の文法に日本語の発音の英単語をちりばめているので、日本語話者が聞いて初めて意味が分かってしかもおもしろいと感じることができると私は思っている。それを、韓国人の彼がやってのけるのだ。そして、ビエンです、と言いながら軽く会釈までしてくるのである。に、日本人かよ!!と突っ込みたくなる。

そんな韓国人の彼は英語も話せるという才子である。そして、英語圏の人たちと英語で話している彼の様子を初めて見たとき驚いてしまった。表情が違う、ジェスチャーも違う、声のトーンまで違うのである。とにかく全然別の人のようにアメリカ人と談笑する彼を見てびっくりした。二重人格かと思ったくらいだ。またある日は韓国人の目上の人と話しているのを目撃したが、若干日本語を話す時よりのしぐさだが、声のトーンが全然違うのである。さ、三重人格?!

たまに日本語をかなり上手に話す外国人もやってくる。あまりに上手なので、話を聞くとやはり数年日本に住んでいたことがある人が多く、その場合はもれなく東京や大阪といった大都市ではなく、なぜか山形にいたとか、愛知県の小さな町にいたとかどっぷり日本語の環境に使っていたという人ばかりだということに気がつく。彼らの話す日本語はとてもきれいだと感じる。上手なのだ。です、ます、をしっかり使い、センテンスを最後までしっかりと話すので、こちらもちゃんと話さないとという気持ちになり、隠し切れない関西弁を必死で隠しながら標準語で応対する、といった具合だ。

「流暢な日本語ユーザー」に立て続けに会って気がついたのだが、彼らが日本語を話しているときはしぐさがなんとも日本人っぽいのである。英語をしゃべっているときの彼らとは明らかに様子が違う。日本語のあいさつができるという人も多々現れる。「こんにちは~」とか「ありがとうございます」と言える人たちである。彼らがそれを披露するとき、ぺこりと頭を下げたり、両手を胸の前で合わせてあいさつして来たりする。たぶんだけど、日本人の話し方に対する彼らの印象なのだろう。日本に住んだことのある日本語が流暢な人たちは逆に両手を胸の前で合わせて「コンニチハ」と言うようなことはせず、「そんなことないですよ」と謙遜するときに片手を小さく振ってみたり、どことなく身をかがめて話しているような印象を受ける。

日本に1年間住んでいたメヒコ人の友だちも同様だ。彼が日本語をしゃべるときと、スペイン語をしゃべるときでは全然雰囲気が違う。日本語を話す時の方が、言葉を選びながらていねいにしゃべろうとしている様子がうかがえる。日本語を勉強し始めたころの彼とは、ジェスチャーや醸し出す雰囲気が明らかに違っていて、そこに日本語の上達を感じたくらいだ。

おもしろいので、言語に興味のある人や他言語を勉強している人に「なんでやと思う??」とこのテーマについて質問しては話し合ってみた。その中で「なるほど、説得力があるなぁ」と納得したのが「その言語が話されている国(地域)の文化を知っているか否かが大きく影響しているのではないか」というものだ。その文化のことに興味があればあるほど、それをじっくりと観察し自分の中に取り込もうとする。あるいは、「ネイティブスピーカーのように話すようになりたい」と思うのは、言語学習者ならだれもが掲げる目標かもしれないが、それらの結果がしぐさとなって表れているのかもしれない。

もちろん、その逆もあると思う。ジェスチャーが先に身に付くと言うタイプだ。言語の前に文化の中にやってきてしまった場合、意思疎通を何とかしなければならず、日本語を話すようにふるまっていては通じないことに気がつく。否定の意思を伝えることは工程のそれを伝えるよりもはるかに大切なときが多く、それゆえ必死になって伝える必要がある。首を大きく左右に振る、両肩をちょっとあげて「さあね」と首をかしげる、口をへの字に負けて目を少し大きく見開いて「知らない、私は関係ないよ」とアピールする、などは日本で日本語を話しているときにはあまり使わない気がする。

この間久しぶりにスカイプで話した2歳になるめいっこがすっかりおしゃべり上手になって、すでに関西弁のイントネーションでしゃべっているのに笑ってしまった。2歳にしてすでに、「関西の子」感がだだ漏れなのである。テレビの影響で標準語の発音で話す言葉もあったが、語尾が「○○やで~」とか言ってるのを聞くと、すでに日本語上級者である。私の職場の同僚の娘っこ(メヒコ人)も2歳か3歳くらいなのだが、時制や動詞の活用、単数形・複数形など、私がいまだになんだか怪しい表現もひょいひょいとやってのけるのである。うらやましいなぁ、と言ってしまえばそれまでなのだけれど、このブログの流れに乗ってコメントをするならば、小さい子どものジェスチャーはあまり大差が無いように思う。恥ずかしがっていると、一様にもじもじして、コクリとうなずくだけだし、調子に乗ってきてしゃべりだすと延々としゃべっているから、あまりジェスチャーに目がいかない。彼らにとってはその言語が一つ目の言語だから比較対象もなく変わったジェスチャーするなぁ、とは気付かないのかもしれない。

いずれにしても、文化と言語の関係性が見え隠れしてとても興味深いテーマだ。そして、日本語を話す外国人から、日本や日本人がどのように見られているのかというのを知るきっかけにもなってそれも面白い。

こんなことを考えている場合があれば問題集のひとつでもした方が自分のスペイン語力のためにはなると分かっているのだが、ついつい寄り道をして考えてしまう性分だ。さぁ、今週は「進撃の巨人」の新刊が出たので、忙しくなるな。笑

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