見るタイミングを間違えたかもしれない展示の話。

月曜日、のつもりが日付が変わってもう火曜日。先週末は何かと濃かった。


日曜日に友だちのBaby Showerなるものにお呼ばれされたので行ってきた。彼女はアメリカ人の友だちなのだけれど、私がオアハカで働き始めた年にスペイン語の語学留学ということで同じくオアハカにやって来たのをきっかけに知り合ったのだ。

すっかりオアハカのとりこになった彼女は、しばらく語学を学んだ後ボランティアとして働き始めた。そして、しばらくオアハカに暮らすことを決意し一度国に帰って、今度は長期間その地で生活できるようにいろいろなことを整えたのち、再びやって来てからはボランティアしていた団体のツアープロジェクトマネージャーとして働いて、オアハカの村で働く女性たちを支援することに従事していたのだ。そんな彼女も気が付けばオアハカに来て3年くらいが経っていると聞かされた時はびっくりした。すなわち、私はそれ以上もオアハカにいるということになるのだ。彼女とは年もほとんど一緒なので、頻繁にではないが時間があった時にはいろいろ話したりしたものだ。いつもエネルギッシュで笑顔が素敵で、「ああ~、こげなおなごになりてぇ」といつも思っている憧れの女性でもある。2回目のオアハカ生活からは彼氏の仕事がインターネットがあるところならどこでもできるというわけで彼を本国から呼び寄せて2人で生活していたのだが、この度めでたく子供を授かったとのことで、オアハカでの出産も考えたけどやはりアメリカに戻ることにしたという。その報告を受けた時はおめでたくてうれしい気持ちが一番にあった反面、オアハカ生活の期間を共にした同志がいなくなってしまうと思うと本当にさみしいと感じてしまった。事実、オアハカを後にする人もたくさん見てきたし、あるいは戻ってきている人もたくさん見ているから人の入れ替わりは多い街に暮らしているとは知っているけど、身近な人がいなくなると思うとやはり状況は違う。

日本ではベイビーシャワーという文化はないので参加したことはなかったけれど、なんでも妊婦さんをお祝いするパーティらしいというあいまいな知識だけでその日を迎えた。メヒコにいるので時間通りに行っては失礼だろうと思い遅れていくと、ほとんどの人がもう到着していた。メヒコ時間を優先するのか、その国民の時間を優先するのかいつまでたっても難しいところである。久しぶりに会った友だちはすっかりおなかが大きくなっていてびっくりしてしまった。そして彼女も彼も来ていた人みんなが幸せそうでなんていい空間なんだとしみじみ感じた。

さて、そのベイビーシャワーというパーティでは軽く軽食を食べて歓談したり、そしてゲームが行われた。年齢層も少し高かったのでレクリエーションみたいなゲームで、久しぶりにああいうみんなでするゲームをした気がする。なんかこういうところがアメリカっぽいなぁと感じる。そして、みんな盛り上がるものを知っているもんだなぁ、と感心する。国を超えて引っ越しを控えた二人なので、荷物は増やしたら迷惑になるからとプレゼントは持ち寄らないというルールで、そのかわり主催してくれた人が1冊の本を作ってくれた。友人カップルと生まれてくる赤ちゃんに送る本である。事前に主催者の人から質問のフォーマットのようなものを受け取って、それに答えていただけなのに、当日を迎えるとそれが立派な一冊の本になっていてびっくりしたし、その本に込められた愛情に泣けてきた。メヒコのオアハカという町で過ごした彼女に向けて、メッセージを寄せたのは世界のいろいろなところの出身の友人で、みんなの出身地の写真も載せられてあった。そうやって写真で見ると、今は同じ町に暮らしているけれど、様々なところからやってきたばらばらの年代の人たちが同じ時間を共有しているということに改めて気づかされて、その人たちに出会えているという偶然に感謝のせずにはいられない。普段気に留めないことが具現化されたものをみると、当たり前と思わずにちゃんと大事にしながら過ごさないとだめだなと思う。

ベイビーシャワーはめちゃくちゃ素敵な空間で幸せで、みんなが新しい命を待っているんだなぁと心の底から感じて、いやぁ、いいところに居合わせたもんだとにやにやしてしまった。来年出産予定らしいので、本当に楽しみな限りだ。2人ともすてきな母ちゃん・父ちゃんになるんだろうなぁと思う。妊婦さんがいるので早めに始まって早めに解散したので、帰り道のメインの通りにはまだたくさんの観光客でにぎわっていた。そう、その週末はBuen Fin(いい週末)とかいう、年に一度大々的に行われるセールの週末でもあった。3連休の人も多いので結構な観光客の量である。

そして現代美術館(MACO)がまだ開いていることに気が付いたから見たかった展示を見て帰ることにした。"Otras mujeres(他の女性たち)"という展示で、Judith Romeroによる、母にならないことを決意した女性たちの写真と映像の展示である。

「自ら母にならないことを決意した女性たちとは一体」ということで気になっていたのだが日曜日は入場料が無料なので、「おお、ラッキー」と何も考えずにのこのこと入っていったのだ。その行為はベイビーシャワーで見たこととは真逆くらい異なるテーマのものを見ようとすることになるのだが、ベイビーシャワーでうれしくなりすぎてそんなところまで考えを伸ばすことをすっかり忘れていた。後悔しても見始めてしまったので時すでに遅しである。

母になることを強く望んでいる人もいれば、それを何らかの理由で望まない人もいる。年齢柄、私の周りにはここ数年で出産を経験し母になっていっている友人が本当に増えた。出産が早くもう大きな子供がいる友人もいて、彼女たちが母になりゆく頃にはあまり意識しなかったが、ここ数年はさすがに意識せざるを得ない。いつまでも子どもを生めるわけでもないのはゆるぎない事実なので妙に考えてしまうというものだ。

レズビアンだから母になることを望まない人や、幼いころに下の兄弟の面倒を見た経験からもうその役割をするのはごめんだという理由から望まない人や、その理由は十人十色である。10人の女性たちのポートレートや彼女たちのくらしを垣間見ることのできる写真をみて、みんな自由でとても幸せそうだった。しかし同時にそこに至るまでには「決断」があったのだと意識させられることで、インタビューの中で誰かも言っていたけど「女性が結婚して子供を産んで母親となる」という図式が「母親にならない」という道よりもはるかに一般的な思想であることがわかる。結婚しない選択をする人や子供を持たない人は確かにたくさんいるけれど、案外そんなステレオタイプな考えがいまだに世界中を支配しているのだなと気づかされるところでもある。しかもその10人の女性の中に一人顔見知りの人がいてびっくりした。

もうすぐ母になる人を見た後に、母になることを拒んだ人たちの展示を見るなんて、うっかりしていた。完全に何も考えていなかった。両者に共通していいるのは「とても幸せそう」ということなのだが、そのどちらにも属していない私が食らった衝撃たるや。(そのために備忘録まで残そうとしている次第だ。)

でも展示自体はとてもいいもので、特に写真が切り取っている彼女たちのまなざしというか、雰囲気は非常に力強くて見ごたえがあった。ああ、タイミングよ、そして私のこの微妙な年齢よ……!!笑 というわけで、機会があればぜひご覧いただきたい展示。備忘録がてら。


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