オアハカのくらしを振り返る

前回の投稿はなんと2018年を振り返る、であることにびっくりした。2019年がぽっかりと開いて、今はもう2020年。そして私は日本にいる。



メヒコのくらし2の一番最初の投稿を見ていると2014年の2月にさかのぼる。足掛け6年間のメヒコのくらしであった。日本を出た時に4か月だった姪っ子もこの春から小学生である。寝返りすらままならなかったあの小さな子が、歩くし、走るし、しゃべるし、難しいことを言うし、おもしろいことも言うし、という驚異的な成長を見ていると過ぎ去った年月を「ほら、こんなに時間は過ぎたんやで」突き付けられているような感じだ。

自分の時計だけで過ごしていたら、成長のスピードものろいし、見た目にも目に見えてにょきにょき身長が伸びているというわけではないから、時間を目で見ているという感覚は得られなかったかもしれない。自分の周りの友だちや兄弟が家族や子供を持ち始めて、時は流れまくっているというのを視覚的に意識するようになったということだ。

しかし、である。成長などの曲線が鈍化しているとはいえ、私にも時は流れている。6年というくくりで見ると、ずいぶんと変わったこともある。(そうではないところもある、もちろん。)

まず、小さいことがますます気にならなくなった。これは実は怖い。悪いとも言い切れないし、いいとも言い切れない。おおらかになったといえばすごくいいような感じがするけど、ルーズになったというとなんだかすごく厚かましい人間になってきたみたいでぎょぎょっとする。これは6年という日々を過ごしたオアハカという土地の風土がそうさせたのか、加齢によるものなのか、あるいはその両方か。こわいと感じるのは、その速度が加速しているけど、これは上昇の曲線ではなくて、なにかにむしばまれているような浸食されている的な感覚だからだと思う。

大きく変わったのは版画やシルクスクリーン印刷などの印刷を始めたことだ。これは最終的に私のオアハカの生活の中で柱をなした活動だと言っても過言ではない。当初、スペイン語学校の留学生支援員のようなオフィススタッフとしてオアハカにやってきたのだが、ある日版画のワークショップをしたことをきっかけに様々な印刷にかかわり始めるようになった。

もともと、裏紙メモ帳づくりやメヒコTプロジェクトなど紙や印刷のことをは好きだったのだけれど、今まで言葉でだけ聞いたことがあったシルクスクリーン印刷や、小学校の時にそういえばやったことあったなあ、という版画と関わり始めたのだ。絵を描くことや版画は、今まで私が持っていなかったタイプのアウトプットの方法だとつくづく思う。今までも、旅をしたい、どこかの国に住みたいという、どちらかというと見たい、体験してみたい、本を読みたいというインプットをずっと欲してそれに従っていたような気がする。そして、オアハカに再びやってきて、いうなれば2回目のメヒコ。年月を重ねるたびに異文化からやってきたものとしての違いに反応して驚くという目線は減少してきた。そのかわり、「こんなことが一緒なのか」という、自分の国や育った文化にあるものと同じようなことに気が付いたり面白みを感じたりするようになったのがこの2回目のメヒコのくらしであった。だから、訪問者としてみるだけではなくて、それを一体どう感じたのか、何を思ったのか、自分の中でどうかみ砕いたのか、理解したのか、という表現の方法が必要だったのかもしれない。そんな中で出会った絵を描くという行為であったり、それを白と黒の版画に落とし込むというのは、そんな時期に差し掛かっていた自分にとってうまく機能したのだと思う。

そして、オアハカが本当に良かったのはものをつくる人たちに出会えたことだ。携帯電話やインターネットが普及して、メヒコでも見渡せばスマホの画面ばっかり見ている人たちがそこら中にあふれている。世界は急激に小さくなって便利になったような気がするけれど、ものをつくる現場においては決して世界は同じ基準にあるわけではなくて、物質的に物や機械がないもんはない、のである。

だからと言ってものをつくる人がいないのかというとそういうわけではなく、昔からある方法や、そこで手に入るものを工夫して使うというものつくりの原点というか、スピリットにたくさん出会った。かわいいからつくる、かっこいいからつくる、作りたいからつくる、作らなあかんからつくる、そういうシンプルで明快な精神をもってものを生み出す人たちにたくさん会うことができたのは何物にもかえられない宝だ。

機械やシステムは、より便利に合理的に早く物事を行えるようにするために生まれてきたもので、それもまた人間の知恵と技術のたまものだからすごいし便利なのは言うまでもない。でも、その便利さやオートメーションが工程や仕組みを見えにくくしているというのも事実としてあると思うのだ。しかし私のようなあまのじゃくな人間はできるだけ、どうやってできるのか、というところが気になったりする。手をかけて、工夫をしながら出来上がる過程をみるというのは、純粋に面白くて「見たい」「知りたい」という様々な原動力として機能してくれていた。そして、自分はものをつくるのが好きだ!!ということを再確認した。面白いし、鼻息だってあらくなる。自分の中の小5男子魂がめらめらと燃える音が聞こえてくる。

私は決してオアハカのくらしは6年間ずっとパラダイスだったとは思わない。何かにのめりこみ、挑戦させてもらえる土地であったのは間違いないし、オアハカのくらしの中で、素晴らしい出会いは圧倒的に多かった。その反面で人間不振になりそうな悲しい気持ちになったこともあるし、自分の調子よさにたまらなく腹が立ったこともあるし、街を歩きたくないと思ったことだってある。まぁそれは、どこにいてもある普通のことだと思う。むしろ、浮き沈みを経験したからこそ、オアハカは自分にとって今までもこれからも大切な街になり続けると確信している。日本に帰ることが決まってから最後の方は、本当にバタバタとした。引っ越しをしないといけないのになかなか重い腰が上がらず、あるいは上がってもそのペースが上がらず、これで本当に引っ越しできるのだろうか……という感じだった。作業が進まなかった理由の一つは、最後の最後まで印刷をしていたということがあげられる。

最後になって注文が舞い込んだり、シルクスクリーン用の印刷台を友だちが貸してくれたり、新しい実験(コチニージャでシルクスクリーン用のインクをつくるというもの)に付き合ってもらったりと動いていた。引っ越すと口にしながらそれはいったい誰?と他人事のようだ。今までは「また今度ご飯しよう!」が会うたびに口癖のようになっていた友だちと今になって日本食をつくる会を連日開催したり、どうしても話しておきたかった友だちとお茶に行って思い出話と未来の計画についてニヤニヤ話したり、作ったものを見せに行きたかったマエストロに会いに行ったり引っ越し間際の人間とそうじゃない人間を同時にしていたような爆風のように駆け抜けた最後の数週間であった。

このたび日本にまた戻ることになったのにはいろいろ理由があるけれど、それは個人的になりすぎるので備忘録であるこのブログには割愛する。しかし、節目ごとに考えたことなどをいちいち書き留めて整理してからでないと次に進めない(気がする)謎の性格の私。というわけで、この長い文章を備忘録として残すことにする。

オアハカでお世話になったすべての人に心からのありがとうの気持ちを込めて。

コメント